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まっとうなサッカー選手のまっとうな半生 03シーズンのベガルタ仙台でユニフォームを脱いだ、ドーハ組の中心選手のひとり、ポイチこと森保選手の自伝。誰からも愛されるキャラクターというか、テレビの画面からも誠実さが伝わってくるような選手でした。 長崎出身の森保選手は、小嶺監督が島原高校から国見へ移る時期に高校入学を決めなければならなかったけど、結局、長崎日大高校に入ってしまい、ほとんど中央では無名の存在で過ごした、というが彼らしい。高校の就学旅行は中国への船旅だったらしいけど、その船内で後に結婚することになる同級生と撮った写真がなんともいえない(p.52)。高校2年生の頃からマジメにつきあっていたと書いていたけど、「ああ、こういうまっとうな人生もあるんだなぁ」みたいな。 当時は冬の全国選手権から大学サッカーというのがエリートコースだったんですが、島原と国見に阻まれて全国大会への出場経験がない彼には大学からの誘いはなく、けっこう偶然に練習を見に来ていたオフトにひろわれる形で広島のマツダに入社することになります。しかも、マツダの本社採用ではなく、マツダ運輸(現マロックス)という子会社の採用だったというのも泣かせる。オフトが正式に監督となり、たまたまサテライト(マツダサッカークラブ東洋)で守備的MFとしてプレーしていたのを気に入られ、トップチームに昇格。マンチェスターユナイテッドへの短期留学なども経験しプロへの意識を高めていたときに、代表監督に就任したオフトから代表に呼ばれる、という経緯を書いてみただけで、オフトと森保選手にはドーハへと続く切っても切れない関係があったんだと思う。おっかなびっくりで参加した初の代表合宿では、周りの有名選手にビビリながらも、なぜか直後のアルゼンチン戦でいきなり先発出場。いいプレーを披露して相手監督にも誉められてレギュラー定着とトントン拍子でドーハに向かって駆け上がっていくところなんかは躍動感があってよかった。 森保選手は若手に「試合前どうしても緊張して困るんですが」と相談されると「それはお前が試合のことをいろいろ考えて準備している証拠だ」と答えて安心させていたそうですが、なんと、その言葉は代表合宿で同部屋となった柱谷から聞いた言葉そのものだったそうです。でも、柱谷から聞いたということは完全に忘れていて、そのことが本をつくる過程でわかってビックリしたと森保選手は書いているんですが(p.182)、代表合宿というのは様々なことが受け継がれていく場所なんだな、と思います。 肝心のドーハは「なにもかも記憶がほとんど飛んでしまっている」(p.120)ため、あまり詳しくないのは残念だけど、そこまでのショックとは知らなかった。ドーハ組の選手たちは、一様に「これまでドーハの悲劇のビデオは見ていないし、これからも絶対に見ない」と語っていますが、その言葉の重みを改めて感じました。ユニフォームを脱いだ現在、広島に戻って小学生を教えながらS級ライセンス取得に向けて頑張っているというのも好感がもてます。 最高の内容です。 1993年ワールドカップ予選に臨み、「ドーハの悲劇」を体験し、アルゼンチン代表のカニジャーが親善試合の際に最も印象に残った選手として答えた元日本代表のMF森保選手の自伝です。 三浦知良選手、井原正己さん、福田正博さんなどのメッセージも寄せられているようです。 サッカーファンは必読ですよ。
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